THOMAS A. EDISON—私はトーマス・A・エジソンです。歌を歌おうかとも思ったのですが、妻が私の声はクラクションのようだと言うのでやめました。メリークリスマス、そして、よいお年を。[1]
NARRATOR— エジソンは、これを蓄音機ディーラー向けのクリスマスプレゼントとして、1924年に録音しました。売上が著しく落ち込んでいたのです。問題のひとつは、他者のレコードも聴けるような機械の開発をエジソンが却下したことです。エジソン社の蓄音機は、エジソン社のシリンダーやディスクしか再生できませんでした。
[MUSIC—“I WANNA BE LOVED BY YOU,” DIAMOND DISC 52410-L, 1928.][2]
NARRATOR— 最後の2つの試作品は、蓄音機部署の多様化への努力が表れています。息子のセオドア・エジソンが1928年頃設計した大きなホーンの付いた装置。これはシネミュージック蓄音機と呼ばれ、初期の無声映画で伴奏用長時間ディスクの再生に使われました。しかしながら、シネミュージックが市場に出る前に、バイタフォン・カンパニーが、音と映画を同期化した最初の実用的システムを発表しました。この革命によりシネミュージックは、旧式な機械になってしまいました。
この木製キャビネットには、実験用にラジオと蓄音機を組み合わせたものが入っています。
[MUSIC—WAGNER, FIRE MUSIC.] [3]
NARRATOR—エジソンはラジオの商品化に反対し、マイクロフォンやアンプを使った電気的記録に切り替えることも拒否しました。それ以外にも同様な決定をしたために、ビクターなどの他者と効果的に競争できませんでした。エジソンの発明、蓄音機は彼が夢にも思わなかったほどの成功を収めたのですが、事業経営は落ち込んでいきまいた。1927年に、チャールズとセオドア・エジソンは父を説得し、蓄音機部署のトップから退陣してもらいました。彼らはエジソン社のラジオと電気蓄音機の新シリーズを発表しました。
エジソンは82歳の誕生日である1929年2月11日に、エジソン社初のラジオ放送で、電話を通じたライブ演説をしました。
THOMAS A. EDISON—紳士淑女の皆様。フロリダ州フォートマイヤーズからお話ししています、トーマス・A・エジソンです。本日は非常に多くの方々から温かいメッセージをたくさんいただきましたことを、心よりお礼申し上げます。私は現在も一生懸命仕事をしております。ぜひ、私の努力を、私の言葉ではなく情熱の証としてお受け取りください。みなさんに誕生日のケーキを食べていただきたいのですが、残念ながらラジオで食べることは、まだできません。この課題については、今後努力いたします。それではみなさん、おやすみなさい。ありがとうございました。そして、グッドラック!
NARRATOR—3ヵ月後にエジソン社は、エンターテイメント用の蓄音機の事業を閉鎖しました。それは1929年10月の株式市場暴落の直前でした。
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[1] Edison Speaks, track 4
[2] “I Wanna Be Loved By You,” Green Brothers Novelty Band, The Edison CD Sampler, copyright 1984 Edison National Historic Site, West Orange, NJ, track 18
[3] Edison Speaks, track 10